派閥
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派閥とは
現代の我々の生活に落とし込んでいうのであれば、とあるクラスの生徒を「ヤンキー集団」、「金持ちグループ」、「オタク系」などとグループ分けをした感じです。
活動場所や思想の変化により、複数の派閥に所属している文豪も存在しているので、ここでは文アルの表記に従い、各派閥の説明を行っています。
かなり大雑把な説明な説明になっているので、興味がある方は検索してみてください。
尚、各派閥の説明文は話し言葉の「です・ます」調ではなく、書き言葉の「だ・である」調にしてあります。
新思潮
【主な文豪】
芥川龍之介/谷崎潤一郎/菊池寛
1907年(明治40年)、文芸雑誌であった「帝国文学」に対抗し、小山内薫が創刊した雑誌が元となった派閥で、
一度は挫折したものの帝大生によって復活させられ、以後は東京帝国大学(現・東京大学)系の文学同人誌の名を飾ることとなった。

同人誌として発信された第2次刊行の際、谷崎潤一郎の処女作である「誕生」や出世作「刺繍」が発表されていて、芥川龍之介も第3次刊行中に翻訳などに携わるなど、以後、菊池寛ら多くの著名人が参加をしていた。
無頼派
【主な文豪】「無頼派」という言葉を初めて明言したのは太宰治で、現在は一般的にこの呼び名が使われている。
太宰治/織田作之助
第二次世界大戦の終戦後、坂口安吾によって「新戯作派」が唱えられたことから派閥の一つとなった比較的新しい派閥。
派閥とはいうものの、共通の活動基盤を持たずに各人で好きにやっていた。
いわゆる、大学の文芸サークルのノリだったと推察されるが、この派閥に属する文豪は「実力的」で「反逆精神」という共通項を持ち、不安定ながらも文学に生をかけて活動をしていた。
尾崎一門
【主な文豪】
尾崎紅葉/泉鏡花/徳田秋声
1885年、尾崎紅葉をはじめとして発足された文学結社「硯友社」を中心として活動していた派閥であり、文学雑誌『我楽多文庫』を発刊。
(尾崎紅葉が戦闘時に言及している「我楽多文庫の表紙を飾ってみるか?」はこの雑誌のことを指す。)
最盛期には、紅葉に弟子入りする門下生が多く存在していたが、尾崎の死とともに「硯友社」は解体され、次第に衰退したが、近年の文壇で顧みられている。
北原一門
【主な文豪】
北原白秋/室生犀星
当時人気の詩人となっていた北原白秋の手で1911年(明治44年)に創刊された文芸誌『朱欒』などをきっかけに、
萩原朔太郎や室生犀星など数多くの著名人を詩壇へと輩出した派閥。
余裕派
【主な文豪】
夏目漱石/森鴎外/正岡子規
正岡子規の写生文にはじまり、夏目漱石とその門下生一同を中心とした一派を指す。
人生に対して余裕を持って望み、高踏的な見方で物事を捉えるという、低徊趣味的な要素を含む作品を書くことを目指していた。
※余裕派に属する文豪は「高踏派」(たかとうは)と区別されたり、両派閥に所属される扱いになることもある。
明星
【主な文豪】
高村光太郎/石川啄木
与謝野晶子(代表作『君死に給うことなかれ』)の夫である与謝野鉄幹が主宰となり、1900年(明治33年)に創刊された文芸誌「明星」※がもとになった派閥。
明星に作品を寄稿した若手歌人はその後、歌壇で名声をあげる歌人となった者が多い。
1908年に一旦廃刊したものの、1921~1927年に再び発刊された。
※集英社より現在発刊されている芸能雑誌の『Myojyo』とは全く違うもの。
白樺派
【主な文豪】大正デモクラシーなど自由主義の空気を背景に人間の生命を高らかにうたい、理想主義・人道主義・個人主義的な作品を制作した派閥。
武者小路実篤/志賀直哉
基本的な思想として、人間肯定を指向し、自然主義にかわって1910年代の文学の中心となった。1910年刊行の雑誌『白樺』を中心として活動した派閥。
志賀直哉と武者小路実篤をはじめとする、学習院の学生が、1908年から雑誌刊行の準備を整えたというのが全身。
当時の学習院は華族専門の教育機関であったため、『白樺』は学習院では「遊惰の徒」がつくった雑誌として、禁書になった。
白樺派の作家には私小説(わたくししょうせつ)的な作品も多く、写実的、生活密着的歌風を特徴とするアララギ派と対比されることもある。
三田派
【主な文豪】三田派は、慶應義塾大学の文学部がおかれている、現在の港区三田を中心に花開いた派閥で、「三田文学」と一般的には言われている。
佐藤春夫/永井荷風
かつては反自然主義的で耽美派で知られ、シュルレアリスムの作家・詩人も輩出していた派閥で、現存する派閥としては、商業文芸系を除くと日本国内で一番長い歴史を持つ派閥である。
プロレタリア文学
【主な文豪】
小林多喜二/中野重治
1920年代から1930年代前半にかけて流行した文学で、個人主義的な文学を否定し、社会主義思想や共産主義思想と結びついた文学のことを指す。戦前の日本文学の潮流の一つ。
プロレタリア文学の先駆は、1910年代後半から、のちに〈大正労働文学〉という位置づけをされる、現場での労働体験をもつ一群の作家たちが現れ、労働者の実情を描いた作品が発表された。代表的な文豪と作品は、宮島資夫『坑夫』、宮地嘉六『放浪者富蔵』など。
他にも旧日本軍での軍隊体験記や大正デモクラシーの中で生み出された文学があげられる。
1924年に『文芸戦線』が創刊されると、プロレタリア文学は花開いたが、第2次世界大戦の荒波にもまれ、治安維持法・特別高等警察(通称 特高)による弾圧を受け、衰退した。
時の政府による言論弾圧の悪法「治安維持法」が衰退の最大の要因である。
プロレタリア文学を率いていた小林多喜二が獄中で拷問の末に死去。
他の作家も弾圧を恐れて、次々と転向していったため(例:中野重治)とも言われているが、
この弾圧を受けて、戦後は「民主主義文学運動」という運動に旗を掲げだすことになった。
新感覚派
【主な文豪】
横光利一
戦前の日本文学の派閥の一つで、1924年(大正13年)10月に創刊された同人誌『文藝時代』を母胎として登場した新進作家のグループ、文学思潮、文学形式を指す。
新感覚派の作風は、第一次世界大戦後のヨーロッパに興ったダダイスム、芸術の革命が目指されたアバンギャルド運動、ドイツ表現主義を意識した作風が特徴である。
伝統的な私小説を超える言語表現の独立性を強調した流派でもある。
現実を感覚的に置換・創造する作風などが傾向としてあげられる。
新興芸術派
【主な文豪】
堀辰雄
1930年にプロレタリア文学に対抗して作られた文学派閥の総称。
芸術の擁護を訴え、井伏鱒二や堀辰雄などが参加したが、翌年に解散。
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